<「実写版・ワイルド7」の周辺〜特撮ヒーロー群雄割拠の時代と、その背景〜>

 「ワイルド7」は、1972年10月9日より「正義を愛する者・月光仮面」の後番組として、日本テレビ系にてスタートした。
(最近やっと判明したが、「ワイルド7」の後番組は「流星人間ゾーン」だった。勉強不足でごめんなさい。)←2004.6

 当時のテレビ界はまさに変身ヒーローブームの真っ只中で、この10月からも「アイアンキング」「レインボーマン」「突撃!ヒューマン!!」「サンダーマスク」「行け!ゴッドマン」の5本がスタート。結果、週15本のヒーロー番組が放映されるという空前の自体を招いていた。
 このブームの渦中にあって、変身ヒーローも怪獣も出てこない本作は、かなり毛色の異なる作品として注目されることになる。

 ただその注目のされ方は、必ずしも好意的なものばかりとはいえなかった。
放映初日の10月9日の読売新聞は「試写会」というコラムにおいて「いろいろと問題を含んだテレビ映画だ」と論じ、その問題点として「テロ行為とカミナリ族を連想させ、また暴力番組追放の流れにも逆行している」という点を挙げている。(連合赤軍による「あさま山荘事件」がこの年の2月。ゆえに世論もかなり神経質になっていたのだろう。・飛間)
 また「リアリティーの強調も問題」となった。当時の受け止め方としては、これが一般的だったともいえよう。(現代社会を鑑みれば実にかわいいものではあるが・飛間) 

 本作より約1ヵ月早くスタートした「必殺仕掛人」も「金をもらって人を殺す」というインモラル性が取り沙汰されたのである。
当時のテレビドラマの主流がホームドラマであったことを考えれば、当然であった。
 変身ヒーロー番組でさえ、暴力的であるとか、登場する怪獣,怪人が気色悪いなどの理由で、風当たりは強かったのだ(子供に見せたくないために、テレビを押入れにしまってしまったという母親もいた) 暴力がヒーローと怪獣(怪人)の戦いに仮託されているならまだしも、そこへ人間が人間を殺す、という番組が登場したのだから、親たちが気色ばむのも無理はない。

  が、そうした親たちの憂慮をよそに、メインターゲットである子供達は、むしろこの異色のヒーロー番組を歓迎した。
乱立するヒーロー番組に食傷気味であった子供たちは、本作のワルが主人公という設定とバイク&ガンアクションに魅了された。
やがてその子供たちの興味が「太陽にほえろ!」などの刑事ドラマに移っていったことを考えれば、本作はちょうどその過渡期にあった作品ともいえよう。

(以上「ワイルド7DVDコンプリートBOX」解説書より引用 (C)MCC・国際放映 発売元 タキ・コーポレーション)