<「ワイルド7」製作に至る経緯>

 では、「幻の高視聴率番組」である本作がどのような経緯を経て放映されたかを見てみよう。

(注・以下の文章は潟^キ・コーポレーションの許可をいただき、一部加筆したもので、平成14年10月に実施された「ワイルド7放映30周年記念OFF会」の際、資料として参加者に配布したものです。ゆえにHPの内容と一部重複や言い回しが妙な箇所があると思います。→単なる無精者です。ごめんなさい・飛間)

 国際放映の岡本直文プロデューサーが、衛藤公彦プロデューサーに「命がけで」企画を持ちこんだことに始まる。

 岡本プロデューサーの熱意が「実写版ワイルド7」を生んだと言っても過言ではない。

 当時、アニメーションの技術が未熟だったことから、岡本氏は「映像化不可能」と言われるこの大作を実写で表現することを決意し、また国際放映が新東宝を母体としていたためか、アニメではなくフィルムにこだわったという経緯から実写版で製作する運びとなった。

 さらに国際放映と共に製作に携わる萬年社の買取枠があったことやテレビ局側の規制が現在に比べて甘かったことが幸いした。 

 ワイルド7の壮絶なドラマの制作に当たっては、監督にアクションものでは国内屈指の名監督である長谷部安春氏や、同時期に放映された「レインボーマン」等で手腕を発揮した六鹿英雄氏等を迎え、脚本には「ウルトラマン」の上原正三氏や、「探偵物語」の佐治乾氏などの著名なシナリオ・ライターを起用。キャストには「ザ・ガードマン」のベテラン川津祐介氏をはじめ新進気鋭の俳優を揃え、「不可能を可能にする!」の熱意をもってスタッフが一丸となって製作に挑んだ。

そして…1972年10月9日。ついに不可能は可能となった!!爾来半年間「ワイルド7」は文字通り「つむじ風」の如くお茶の間に旋風を巻き起こし、「幻の高視聴率番組」として名を残すことになったのである!

 (以上「ワイルド7DVDコンプリートBOX」解説書より。一部加筆 (C)MCC・国際放映 発売元 タキ・コーポレーション)