〜「『ワイルド7』放映30周年記念オフ会イベント」に寄せられた、キャスト諸氏のメッセージ〜
あの日から2年の月日が経ちましたが、この度、掲載許可が下りましたので、遅ればせながらのUPです。
【草波隊長役・川津祐介氏】
かつて戦国時代の武将は、殺戮、略奪、陵辱の限りを尽くし、やがて世の無常をはかなみ、信仰の世界に自らを投入している。
それをなぞりたいと思ったわけではないが、かつての草波隊長は、今、朝な夕な、読経三昧の世界に在る。
食事も粥食、基本的に一汁一菜を守るようになって一年が経過しようとしている。
MBS(東京ではTBS系列。月曜から金曜までの1時半から2時までの放送)の『ピュア・ラブ』の宗達老師のお役を戴き、
少しでも役にアクセスしたい と発心したが故に始まったライフスタイルである。
『ワイルド7』が放映30周年を迎えた2002年に放送が始まった『ピュア・ラブ』が、視聴率高騰を機に、一気にパート2に突入
(11月25日より放送)した のも因縁めいて面白く、嬉しい。おかげで般若心経、観音経は上げられるようになった。
ご希望の向きには、先祖供養にお邪魔させていただいても良いと考えている。
【飛葉大陸役・小野聖心(旧名.小野進也)氏】
僕にとっては青春の一ページの作品ですが、当時10〜16歳の子供さんだった皆さんに、強烈な印象を与えたのでしょう。
作品に対する思い入れが、皆さんの方が強いという事で、僕も再び「ワイルドを最初から観直さなければ!」と思っています。
30年も昔の作品を愛し続けてくれる皆さんの存在は、本当に有難いですね。
皆さんのお力を借りて、できればもう一度『ワイルド7』をもう一度世の中へ出したいです。
【オヤブン役・永井政春氏】
ワイルドの頃は、とにかく集合時間が早くて、毎朝電車の始発に乗ったり、夜は遅かったり、毎日大変でした。
その為当時都内に住んでいた小野さん、手塚さん、マイケルさんの家には何度も泊めてもらったり、彼らには感謝しています。
一度すごい遅刻をしてしまって、待ち合わせの手塚さんを車に乗せて国際放映へ向かいましたが、既に撮影隊の姿は無し。
泣きたくなりましたが、幸いその日は雨で撮影が中止になっていて、心底ほっとしました。
とにかくワイルドの仲間やスタッフの皆さんには、迷惑をかけてばかりでした。
今でもワイルドの仲間達と会いますが、皆オヤジになっていますね。
でもいつかまた、あのメンバーでリメイク『ワイルド7』を演りたいと、毎日思っています。
【両国役・小池雄介氏】
『ワイルド7』で特に印象深い回。そう、大変だったという意味では、やはり初回でしょう。
両国のバズーカ発射の声については、最初誰かがヘルメット(頭)を叩いたら発射、という段取りだったのが、間が悪いのと、
「頭を叩いて発射では、頭が引き金で、叩いた奴が撃ったようだ」「両国がマヌケに見える」ってな事で
掛け声を入れたように思います。
ただ掛け声が「ヨオッ」か「ヤアッ」かは覚えていません。合図の頭叩きに対する「解った」という意味で言ったと思いますが、
段々敵を倒す時の“気合い”になっていったのでしょう。
まぁ、アドリブなので、「ヨッシャ」でも「イケ〜ッ」でも「ドスコイ」でも「パコーン」でも、何でもよかったのでしょうね。
国際放映の素晴らしい時代の中で創られた『ワイルド7』という作品は、「両国」と共に、
やっぱりいつまでも私の中に残っていくのだろうなぁ… と、今、つくづく思います。
【八百役・故・手塚しげお(旧名.手塚茂夫)氏】
早いもので、『ワイルド7』放送スタートから30年ですか…。
DVDも発売になり、改めて映像を観ると、撮影当時のことを色々思い出します。
今年は3月17日、江坂ブーミンホールでのマイケル(中山)とのジョイントコンサートは、大変楽しく、また勉強になりました。
プロデュースしてくれた奥虹君、ワイルド7OB追究班さん、本当に有り難う!
僕の夢は、『ワイルド7』レギュラー陣全員で、コンサートをすることです。
小野進也も真理アンヌも歌を歌うからね。ではこれからも『ワイルド7』を応援して下さい!
【映子役・真理アンヌ氏】
若者のエネルギーというか、悩み、苦しみ、オートバイへの憧れは不変だから、
今の時代にこそ『ワイルド7』が求められていると思います。
『ワイルド7』を知らない世代の人たちにも、ワイルドを是非観てもらえたら嬉しいです。
映子ファンの皆さんは、私と一緒に歳を取ってください。
映子ファンの人たちと仲良くしたいし、今後私に何をやって欲しいのかも知りたいし、私の色々な面も見て欲しいです。
これからも応援よろしくね!
【ヘボピー役・笹本憲史(旧名.笹本顕)氏】
皆さんが熱く思い込んでくれる程の気持ちで、当時は仕事をしていませんでした。
連日キツイと思いながら撮影していたけれど、結果としてファンの皆さんが高く評価して下さった。
…もうちょっと違う気持ちで演っておけばよかった、と後悔しています。
当時『ワイルド7』がワースト番組に挙げられていたのは、恐らく古い体質の人達が、新しいもの(文化・価値観)が出てくると
否定したからでしょうね。
でも特に社会のルールを知らない当時の子ども達に支持され、新しいもの中にはきっと何かある、と思ってもらえたのは
幸せでした。
僕の自由気ままに生きてきた部分は、原作のヘボピーの生き方と重なるし、規則のある草波隊長のもとで反発しながら、
それ以上に人間の良心として許せないものに対しては、メンバーが一体になって戦った。
…そこにこそ『ワイルド7』の魅力があると思います。
【世界役・マイケル中山氏】
手塚さんは15歳から俳優をやっているけれど、僕の出演作はそんなに多くない。
それだけに一生懸命演った『ワイルド7』を、皆さんが今も想い続けて下さっている事が、とても嬉しいです。
手塚さんとお付き合いが出来るのも、『ワイルド7』があったからですしね。
僕の主役回「スパイダーから来た女」(第15話)は、結構矛盾があって。
湖が見える喫茶店から出てきて、ロープウェイからで降りてきたという事は、「ロープウェイの上に湖がある」という事ですからね。
そういう皆さんからの疑問一つひとつに答えていきたいと思います。
またその為にも、皆さんと交流していきたいですね。
*以上、「『ワイルド7』放映30周年記念オフ会イベント」
(主催:WWW、レインボークリエイション)パンフレットから、抜粋しました。(文責:奥虹)
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